鍼ヒストリー 杉山和一と江ノ島
鍼の皮膚への刺入方法 (しにゅうほうほう) には、撚鍼法 (ねんしんほう) と管鍼法 (かんしんほう) という技法があります。
撚鍼法は、鍼を皮膚に直接刺入する方法で中国より伝わりました。 管鍼法は、鍼を鍼より少し短い管に入れて出た鍼の頭を叩いて刺入する方法で日本の杉山和一が考案しました。その杉山和一のエピソードをここで紹介します。
江戸時代1610年 (慶長15年) 、伊勢国安濃津 (現在の三重県津市) の藤堂藩士 杉山権右衛門重政の嫡男 (ちゃくなん) として杉山和一は生まれます。
和一は武士の道を歩んできましたが、幼少期に流行病 (天然痘) にかかり失明します。
武士をあきらめ鍼医術師の道に進みます。江戸に行き弟子入りして修行に励むのですが、不器用でのろまで物忘れの多い和一は技術が身つかず破門されてしまいます。
和一は技術の向上のため、ご利益があると噂の江ノ島弁財天 (神奈川県藤沢市) に願掛けに行きます。
願掛けが終わった帰り道、石につまずき転んでしまいます。その時、わらをもつかむ気持ちで「葉っぱにくるまれた松葉」を握りしめます。
それを見て鍼を管に入れ叩く方法、つまり「管鍼法」を思いついたのです。その後「管鍼法」を練習をし鍼技術がみるみるうちに上達していきます。
和一75歳の頃、五代将軍の徳川綱吉公がぶらぶら病 (現在のうつ病) にかかってしまい、あらゆる治療を試しますが一向に治りません。綱吉公は和一の噂を聞き鍼治療をしてもらうことになります。
綱吉公のぶらぶら病は和一の数回の鍼治療で治ってしまいます。治療の御礼として和一は本所(東京都墨田区)に豪邸をもらい、盲人としては最も位の高い関東総検校に任命されます。
その後、和一は1695年(元禄8年)6月26日に85歳でこの世を去りました。
現在、本所の豪邸跡の一部には、杉山江島神社が建てられ和一が祭られています。そして、2016年4月に鍼の資料館も出来上がりました。
参道
福石
江島神社
弁財天
中津宮
奥津宮
杉山江島神社(東京都墨田区)